形意拳の開式を研鑽しているうちに

見えて来るものがあります。

それは技をどう見るかということです。

技は形としてしか現せませんから

闘いの形態として捉えていることが殆どですが 

長年研鑽を積んでいるうちに

見えて来るものがあります。

それは技とは闘いの形式を学ぶものだけではなく 

その中身が重要なのだということです。

拳でいうと當たると相手が壊れる、

手刀だと斬れるということ、

もちろん實際に斬れるわけではないのですが 

斬れるように見えるということです。

これは相手に対して

破壊的な威力を与えられるということです。

その要点は身體の使い方にあります。

身體の使い方の深いところは意識の使い方、

コントロールにあるのです。

こうなって来ると

既存の考え方では間に合わなくなってきます。

意思、想念、感情の順に身體の運用力は上がっていきます。

何々しようとするより 

イメージする方が身體は操作しやすいのです。

もっと具體的に説明しますと 

ある動きをするのに手がどう、足がどう、動きがどうと

考えながらするより

ある動きの姿を思い描きながらする方が 

よりレベルが上がりやすいのです。

これは紙より薄く鉋掛けをする人のことや、

ミクロン単位で金物を削る職人がいると言う事實で

説明できると思います。

このような細かい作業をする場合

手足がどうのこうの言っていられないと思うのです。

吾が形意拳でも最後は

この様な想念を使うレベルになると言うことです。

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令和五年十二月七日