腰の入れ替えをする事により打撃力をUPしています。
これはただ脚を入れ替えても何の変化も無いのですが
腰を入れ替えると言う事が出来ると
腰が極まるため打撃力が上がります。
黒田鉄山先生の著書にこのことが紹介されており
自分で真似してみたら
意外と上手く出来たので拳打に取り入れてみました。
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令和六年二月二十六日
八卦掌や太極拳、形意拳を使った護身術をやっています。
腰の入れ替えをする事により打撃力をUPしています。
これはただ脚を入れ替えても何の変化も無いのですが
腰を入れ替えると言う事が出来ると
腰が極まるため打撃力が上がります。
黒田鉄山先生の著書にこのことが紹介されており
自分で真似してみたら
意外と上手く出来たので拳打に取り入れてみました。
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令和六年二月二十六日
今回久しぶりの動画です。
刀を振る事が按や突きなどの攻撃技に影響を与えるのか否か、
の實験をして見ました。
動画で判る通り想像以上の成果が出ました。
これから解
るのは昔の剣豪たちの素手の格闘能力の高さです。
實は 正直言って素手では空手家には敵わないのでは無いか、
と思って居たのですがどうしてどうして
かなりのレベルを持っているのですね。
つまりは刀の素振りは
拳法の練功法として有効で有る と結論づけられます。
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令和六年二月十二日
型の細かい所まで
正確に注意が行き届く様になるのには
結構な時間と手間がかかります。
まず通常の稽古では根氣が続かないでしょう。
肉體よりも先に精神が根を上げます。
特に中年以上の人はそうです。
その為には一つ一つの動作を丁寧正確に
覚えていく必要があります。
急いでやっては駄目です。
一つ一つの形を区切りながら覚えるまで繰り返すのです。
これはかなり単調な稽古になります。
意識は早くやりたがるのですが
その逸る心を押さえ付けて 繰り返す必要があります。
それは覚悟 と云ってもいいでしょう。
大袈裟ではなく覚悟と呼ばれるものが要求されます。
意馬心猿という言葉がありますが
まさしくそれで 自分の意識が思う通りにならないのです。
ですから 自ら自分の心に鞭打って
自分の心を従わせるのですね。
それが上手くいくと
型もわりと楽に覚えられる様になります。
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令和六年二月一日
木刀と居合刀を振り比べて氣が着いたのですが
この二種類の刀には明らかな違いがあります。
ちなみに単なるお飾り用の美術刀と居合刀
でもその違いは明確に分かります。
本当は真剣とも比較してみたかったのですが
手元に真剣が無かったので断念しました。
居合刀を振ってから木刀を振って見ると
風邪をひいて鼻詰まりを起こした時の様で鈍く感じます。
また居合刀と木刀を振ってから突きの
威力を比較してみると
突きの透りが異なります。
居合刀の方が良く透ります。
真剣だとその差はもっと有るかもしれません。
真剣を腰に差してた武士は
素手でもかなり使えたのでは無いかと思います。
後は立ち方の違いですね。
居合刀では腰を落として立たないと すぐ
地面を斬り付けてしまいます。
現代人のような棒立ちではなく蟹の様な
膝を横に開いた立ち方ですね。
ただこの様な立ち方は吾々現代人には
無理かも知れませんね。
長く立ってると下半身が疲れてしまいます。
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令和五年一月二五日
套路の稽古で感じたことを書いていきます。
それは套路の稽古が細かい身體の使い方に
氣を配れる様になる事だということです。
例えば棍の稽古だと套路の稽古の前に
棍の扱い方を身に着ける必要がありますが、
棍の扱い方だけを稽古するというのは結構難しいのです。
また實際に色んな様式、やり方があり
それら全てに対応するのは不可能に近いので
套路の稽古と並行して学んで貰う必要があります。
言い換えますと 棍の套路の順序を学ぶと同時に
棍の扱い方をも学びながら稽古しているという訳です。
この二つのことを同時に行っているため
棍の習得に時間がかかる訳です。
また太極拳の單鞭という套路は
攬雀尾から入るのが一般的なのですが
右足の爪先を内側に捻り込む必要があります。
ところがこの捻り込みが不完全な為
型が崩れ 技が効かない という事がままあります。
このために右の爪先を挙げ、
内側に捻り込めという指示を出します。
それでやっとまともに動くようになるのですが、
これも單鞭の套路をする度に指示しなくてはなりません。
上半身は單鞭の形をやり
單鞭の形をやり 下半身は爪先を捻り込むという
二つのことを同時にやるという事が
最初は難しく 中々上達しない
套路が覚えられない原因でもあります。
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令和六年一月十八日
久し振りに近くの公園で行いました。
少し風がありましたが概ね晴れて
氣持ちの良い稽古が出来ました。
最近は套路の稽古を主にやっています。
今まで功を自覚できるように練習してきたので
套路にも功を入れられる様になりつつあります。
功の入った套路と 入ってない套路では
實用性に大差があります。
套路の形の良し悪しは見た目重視よりも
實用性重視に変わりつつあります。
この後は対打、組手に進む予定です。
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令和六年一月十一日
新年初めてのブログです。
昨年は大変な一年でした。
今年は心機一転、良い歳にしたいですね。
さて改めて考える事ですけど
やはり何をやるにも國語力というのが
最も大事だと思います。
物事を深く探究する為には色々な情報、
それの分析、評価と
最後には直感力がモノを言うのですが
この直感力というものは何も無いところから
突然ポン、と出て来るのじゃなくて
やはりそれまでの長い探究の結果
ある時 閃くように現れるのです。
これらはある種(情報、知識、分析)の量質転化化なのです。
これら全てが 所謂國語力と言われるモノだと
言えるでしょう。
ですから武術の研鑽の場合でも
十年や二十年くらいの修業では
自分だけならともかく 他の人の参考にもならないでしょう。
「眼光紙背に徹す」となる為には
「読書百遍 意 自ずから通ず」
でなければなりません。
これが量質転化の在り方です。
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令和六年一月一日
前回の説明動画です。
背筋が伸びてる時とそうでない時の比較です。
軽く腕を伸ばして手を下げるだけなのですけど
背筋が伸びてる時は
相手の體が崩れますけど
そうでない時は崩れません。
下腹が前に出てたり
首、頸椎が前傾してたりすると
やはり崩れないのです。
これは按出をする時でも同様です。
姿勢って大事なのだなぁと感じさせる實験になりました。
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令和五年十二月二十六日
形に「功」を入れることで形は技になる。
それを型という。
その為には「功」とは何ぞや
ということを理解しておくことが必要になる。
功とは意識の實體化したものと思えば良いだろう。
意識を指先まで流して動かす。
攻のない形だけの型は役に立たないので
力を入れることで代用しようとするのであるが、
これが力を抜けない最大の理由であろう。
歳を取ると胸椎が丸くなるので
意識して胸椎を伸ばす様にしなければならない。
背骨が真っ直ぐに伸びて来ると
意識が腹までスッと落ちていくのを感じられる。
腹に落ちた意識は下腹部に集め さらに脚まで落とす。
カカトから足先まで意識が行き渡るとドッシリとした
所謂 上虚下實となる。
その状態を保ちつつ型を演じる。
すると手足の先を少し意識してやるだけで技が効く。
型になったのである。
ただここまでできる様になっても
今までのクセでつい腕力を使ってしまうことがあるので
注意しながら動かす。
吾々は功を使える様になっても
つい力を使った動きになりやすいので
ここは慎重に自分の意識を操作する様にしなければならない。
という訳で
最終的には自分の意識をどう制御出来るかということになる。
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令和五年12月21日
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