八卦掌と體術のよもやま話

月: 2024年6月

84-24. 刀を抜く時の身體と内功との連関

具體的に刀、特に長い場合は右腕だけでは抜けません。

左を引いて 背中を広げる様にします。

これは内功を使うときの含胸抜背に似ています。

この背中を

拡げる という動作ですが、

形が何とも難しくて 何年修行してても出来ないのです。

否 正確には ほとんどの人が不完全なまま なのです。

これだけでも刀を振るう甲斐があろうと思います。

更にはこの含胸抜背というか 

含胸広背という形は半身の形になっています。

また實際に刀を振る手も 

沈肩墜肘と云う肩、肘が墜ちた

理想的な手肘の形になっています。

というわけで 站樁功を練る時の基本の形が

労せずして出来るわけです。

何事でもそうなのですが

基本の形がしっかりと出来てたら

もうそれは完成間近といってもいいでしょう。

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令和六年六月二十七日

84-23.實際に居合刀を使う

その前に何故 刀(道具)を使うと

経験の伝承が起きやすいのかについて考察していきます。

爪や牙を使ってた時には自分単體での闘いだったものが、

道具を使うということはもっと上のレベルの闘い、

もっと大きな獲物だとか、力のある獲物だとかを

標的にする様になったということです。

これは端的には知能の発達を意味しているということです。

また集団での狩りとかをやる様になってきて

意思の疎通を図る様になってきたわけです。

その段階になって他人の経験を集団で共有する事が

できる様になったわけです。

そうなると経験の蓄積が図られ、

方法の進歩もできる様になったわけです。

道具の使い方も単純なやり方から 

複雑で巧妙な扱い方を模索し 

効果、威力の向上が図られる様になりました。

すると単に殴るだけでも 

より効果の高いやり方をする様になったという事です。

これは武器を使わない格闘でも同様であろうと思うのです。

素手の自然発生的な格闘より 

効率の良い格闘(術)になっていくわけです。

これが素手の格闘術は武器術の後から発達した理由であります。

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令和六年六月二十一日

84-2. 何故 刀なのか

説明します。

素手の武術は

刀、剣、槍の武術の後から発達しているからです。

ヒト、人類の格闘は 確かに牙や爪で噛んだり 

引っ掻いたりから出発しているのですが、

ヒトが道具を使い、先を尖らせ、

あるいは鋭くして使うことを覚えてから 

アタマの働きが急速に良くなって行きます。

つまりここが人類文明の原点とも言えます。

爪や牙を使っている時と、道具を 

この場合は刃物ですが

使う段階の大きな差は 

自分の経験を後の世代に伝えているか否か

という点にあります。

つまり技術の蓄積があるのか否ということです。

それからもう一度 素手の戦いに戻ったのです。 

道具この場合は武器術ですが、

武器を使うときの身體の運用法を

素手の闘いに使ってみると

思いのほか上手く行ったというのが

素手の格闘術の始まりなのでしょう。

何故なら道具というものは使いこなす事で

その働きが 仕事が 

格段にレベルアップする事がわかるからです。

足の運び、力の入れ具合で差が出るのなら 

それを素手の格闘に使わぬという法はありません。

ただ単にガムシャラに體を動かしての格闘より 

経験値に裏付けられた闘いの方が勝てるとなれば

それを選ぶでしょうから。

吾々日本人は 日本刀を使っての闘い方から学ぶ方が

より深く学べようというものです。

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令和六年六月十三日

    

  

84-21.弓歩と跟歩の連関

太極拳の歩法は先ず 前脚を出してから重心を移動させます。

掌打や拳打も この動きに合わせて撃ち出します。

肘の伸展による加撃ではなく

重心の移動を利用しています。

肘は落としていますが 伸ばすのではなく曲がらない様にして

重心の移動によるエネルギーの伝達をしています。

この方法のもっと高級バージョンが 跟歩による打撃な訳です。

掌打なり拳打なりを軽く相手に當て 

後脚を少し前に踏み落とす様に跟歩して加撃します。

上手く極まると動画の様に相手を發き跳ばせます。

意識の使い方が肝要ですね。

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令和六年六月四日

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